甘さは“時代の贈りもの”?

シュトーレンがリッチなお菓子になるまでの物語
こんにちは、イワナガ焼菓子店です。
「スパイスとお酒が香る、くつろぎのシュトーレン」。
これらの焼き菓子には、ドイツの伝統から続く物語が詰まっています。
今回の【シュトーレン歴史探訪3day】では、
**「いつから甘くなったのか?」**というテーマを、砂糖とドライフルーツの歴史からひもといていきます。
1|16世紀:砂糖は“白い金”だった
バターの使用が認められた1491年。
この時点で、シュトーレンはようやく断食パンからバター入りパンへと進化します。
けれど、まだ「甘く」なかったのです。
その理由は――
当時のヨーロッパで、砂糖は「銀」と並ぶほどの高級品だったから。
- ☑︎ 一般の人が砂糖を口にすることはほとんどなかった
- ☑︎ バター、小麦粉、酵母、塩だけで作られた「質素なパン」
- ☑︎ せいぜい干しぶどうが少し入る程度。甘味はほぼゼロ
まさに、甘さは一部の貴族たちだけが知る贅沢でした。
2|17世紀:砂糖とフルーツが海を渡る
しかし、17世紀に入ると大きな転機が訪れます。
大航海時代の到来によって、世界の交易ルートが一気に広がったのです。
- ☑︎ カリブ海やアフリカで砂糖生産が拡大
- ☑︎ ヨーロッパには“甘いもの”のブームが到来
- ☑︎ 王侯貴族の間で「シュトーレンに砂糖とドライフルーツ」が加えられ始める
とはいえ、まだ庶民にとっては夢のような話。
当時の砂糖は“白い金”とも呼ばれ、一握りの特権階級のものだったのです。
同じ頃、日本では…
この時代、日本は戦国時代~安土桃山時代へと移り変わっていました。
- ☑︎ ポルトガルから南蛮菓子(カステラ・金平糖など)が伝来
- ☑︎ 砂糖は「武将や貴族の贅沢品」とされ、庶民には届かない
日本とヨーロッパ、それぞれの「甘さをめぐる文化」の始まりが、ほぼ同時期に動いていたのは興味深いことです。
3|18世紀末〜19世紀:砂糖が庶民の手に!
そして、ついに「甘さ」が人々の食卓へと広がる時代がやってきます。
ポイントとなったのは、ヨーロッパの経済と戦争でした。
1806年:ナポレオンの「大陸封鎖令」
- ☑︎ イギリスとの貿易が断たれ、カリブ産の砂糖が輸入できなくなる
- ☑︎ フランスとドイツが独自の糖源として「甜菜(ビート)」に注目
- ☑︎ 甜菜糖の生産が拡大し、砂糖がヨーロッパ各地で手に入るように!
こうして、庶民のシュトーレンにもついに“甘さ”が加わるようになったのです。
4|シュトーレンの商業化と「クリスマス菓子」への変貌
19世紀には、ドイツ各地でお菓子屋やパン屋が**“甘いシュトーレン”を商品として販売**し始めます。
- ☑︎ 特にドレスデンでは商業化が進み、毎年のように売り出されるように
- ☑︎ バター・ドライフルーツ・砂糖たっぷりの“今の原型”が完成✨
- ☑︎ ついに「クリスマスにはシュトーレン」が文化として根付くように
日本では江戸後期|甘味文化が広がる
この頃の日本は江戸時代後期(文化・文政期)。
長崎からの輸入や国産化によって砂糖が広まり、和菓子文化が発展。
- ☑︎ 干菓子・羊羹・落雁など、茶道文化とともに定着
- ☑︎ ただし、まだまだ庶民には高嶺の花。上流層中心の文化
ヨーロッパでも日本でも、「甘さ」はゆっくりと、けれど確かに人々の暮らしに根づいていったのです。
最後に:甘さは“時代の贈りもの”
今では当たり前になった“甘い焼き菓子”も、
かつては特権階級しか味わえなかった時代がありました。
それが、交易、政治、技術、そして人々の願いによって少しずつ広まり、
私たちが今日ふつうに楽しめるようになった。
**甘さとは、時代を越えて運ばれてきた“贈りもの”**なのかもしれません。
イワナガ焼菓子店のシュトーレン
当店のシュトーレンは、そんな歴史に思いを馳せながら、
**スパイスとお酒で包む“今のくつろぎ時間のためのシュトーレン”**としてご提案しています。
豊かな香りと、時代を超えた物語を感じていただけたら嬉しいです。
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