一つの町が、シュトーレンを“文化”にした

ドレスデンと、特別なシュトーレンの関係
こんにちは、イワナガ焼菓子店です。
今回の【シュトーレン歴史探訪4day】では、いよいよ本場ドイツ・ドレスデンの物語に迫ります。
同じ「シュトーレン」でも、なぜドレスデン産は特別視されるのでしょうか?
その答えは、歴史と文化、そしてひとつの果物にありました――。
ドライフルーツがもたらした進化
16〜17世紀の大航海時代、ヨーロッパにはさまざまな南国の果物が流入しました。
特に注目されたのが、レーズンやオレンジピール、レモンピールなどのドライフルーツ。
これらは保存性が高く、冬の間も美味しく楽しめる**“贅沢品”**として重宝されたのです。
それまで「質素な断食パン」だったシュトーレンも、ドライフルーツによって華やかさをまとい始めます。
そして、それを積極的に取り入れたのが、文化の都・ドレスデンでした。
宮廷文化とともに発展したドレスデン・シュトーレン
18世紀、ドレスデンのパン職人たちは高品質なシュトーレンの製造に力を入れ、評判を高めていきます。
当時ドレスデンは、ザクセン王国の首都。
芸術・音楽・建築など、あらゆる文化が集まる一大都市でした。
宮廷の祝宴でふるまわれたシュトーレンは、王侯貴族たちの間で「特別な菓子パン」として愛され、
やがて「ドレスデン産=高級」というブランドイメージが定着していったのです。
商業化と地理的表示保護制度(g.g.A.)
19世紀に入ると、ドレスデンのシュトーレンは全国的に知られる存在となり、
商業化が一気に進みます。
そして1990年代には、
EUの「地理的表示保護制度(g.g.A.)」により、
「ドレスデン・シュトーレン」と名乗れるのはドレスデンとその周辺地域で製造されたもののみに限定されました。
これは、ワインやチーズなどと同じように、伝統と品質を守るための制度です。
毎年開かれる「シュトーレン祭り」
現在でも、毎年12月にドレスデンでは「シュトーレン祭り(Stollenfest)」が開催されています。
巨大なシュトーレンを担いだ行進や、各地から集まる菓子職人による展示販売など、
街はまさに“シュトーレンの都”として盛り上がりを見せます。
一方その頃、日本では…
同時期の日本は、江戸後期〜明治初期。
西洋からパン文化が少しずつ伝わり、明治時代には本格的なパン屋も登場しましたが、
ドレスデンのようなリッチな菓子パンが庶民の食卓に並ぶのは、もう少し先のことになります。
次回予告:「祭りのはじまり」
次回は、そんな「シュトーレン祭り」がいつ・どのように始まったのか?
そして、どんな思いが込められているのか――
【シュトーレン歴史探訪⑤】として深掘りしていきますので、どうぞお楽しみに。
シュトーレンのご案内
歴史と文化を感じながら、味わうひととき。
イワナガ焼菓子店では、伝統にインスパイアされた“スパイス香る大人のシュトーレン”をご用意しています。



(▲上記の画像は、パッションマンゴーのシュトーレンです)